フルで聴いて以来頭から離れなくて、言葉にしておきたかったので、思ったことを書き残しておきます。
なお、この記事はアニメ『天幕のジャードゥーガル』の物語と重ねた上での歌詞解釈です。作品のネタバレを含みます。
怒りという感情
歌詞の中のどこにも書かれていないのに、(たぶん)作品を知らなくても、歌に秘められた感情は「怒り」だと想像できるのがすごい。
失ったものへの悲しみ。奪われたことへの戸惑い。取り戻せなかった自分への悔しさ。それでも前に進まなければならない覚悟。
この曲では、そういった感情が交じり合って、怒りが生まれるまでの軌跡が描かれているように感じました。
答えの出ない問いを何度も何度も繰り返し、心の奥にある怒りを再燃させていく。本当に深い怒りとは、外に向かって叫ぶことではない。
何度も自分に問いかけ、何度も過去を思い返し、それでも消えないものを見つめ続けること。忘れたいほど苦しい。でも忘れることは許せない。
その矛盾を抱え続けることこそが、この曲で表現されている「怒り」なのではないかと思いました。
忘却という救い
「忘れていたなんて そんなわけ」という歌詞の一節について。
この後に続くであろう「ない」を言い切らないことの意味を考えた。二つの意味があると考えました。
ひとつは、作中で何度も訪れる「もう復讐なんていいじゃないか」という迷い。
時が経つにつれ、あるいは穏やかな時間も訪れて、暗い気持ちを忘れる瞬間が何度も描かれます。しかし、それでも彼女は平穏を振り切って復讐を思い出そうとします。そんな意思が見え隠れしているのではないでしょうか。
もうひとつは、忘れてしまうことの残酷さ。
自分の生きる原動力でもある感情とその根源を、一瞬とはいえ忘れてしまう自分への情けなさ。
『想い出がまだ煌めいている』ということは、それがまだ美しいものとして彼女の中に残っているということ。煌めきが消えてくれれば楽になれるのに、消えないから苦しい。そんな複雑な感情がこの一節に凝縮されているように私は思いました。
反復と反転
「弱かったから」という歌詞が何度も出てきます。
曲の冒頭から中盤までは、「この世界は弱くて未来は脆くて、だから壊れるのは仕方ない」という諦めに近いニュアンスで語られています。
ひとりの人間ができることなどたかが知れている。そう思うのが当たり前で、それはある種の救いですります。
でも、最後の最後で、主語が変わります。
「私が弱かったから 壊されたんだ」
世界のせいにできたはずの痛みを、自分の責任として引き受けてしまう。なまじ知恵と知識があって、何かを成せるだけの力があったせいで、諦観が自責の念に変わってしまう。
そして、自責で終わることを許さず「次は壊されないだけの力を持てばいい」という結論を自分の中で導いてしまう。
逃げ出す弱さを使いこなせず、すべてを背負い込んで破滅の未来に向かっていく。その結果さえ当然の罰と信じているから止まれない。
「私が弱かったから」という言葉は、自分を責める言葉であると同時に、「もっと強くならなければならない」と自分に課してしまう呪いの言葉でもあります。悲しい。
問い続けること
この歌の一番好きなところ。
「間違ってない? もしかしてもう初めから?」
歌詞の中で、主体となる存在は強い意志を持ちながら、自らの正義(あるいは悪)を疑う気持ちを失っていません。
この問いは、「今の自分」を疑っているだけではなく、復讐を決意したこと自体が間違いだったのではないか、という自分の物語の起点すら疑ってます。
自分の存在理由を否定したら生きては行けない。でも知恵があるから問わずにはいられない。
「自分は正しい」と信じ切ることができないからこそ生まれる苦しみがあります。だから、己の正しさを疑い続ける人間ほど、自分自身を傷つけてしまうのではないでしょうか。
この曲を聴くたびに痛みを覚えるのは、この高潔な心によるものだと感じてなりません。
さいごに
今までセカオワの曲をまったく聴いたことがなかったのですが、作品を読み解いてここまで深く潜れる歌詞や、暗さと疾走感を両立させる曲、とても好きになりました。本作を通じて知ることができて幸いでした。