投稿者: usui

「響け!ユーフォニアム」アニメ3期13話感想、および過去作における改変について

9年近く追い続けた作品がひとつの終わりを迎えた。
おそらくは十全ではない体制の中、途切れながらも最後まで制作してもらえたことをありがたく思う。不満や要望はあれど、まずは敬意をもって感謝を伝えたい。

#3期の総括
終わってみると、3期はこれまでのリフレインが多用されたという印象が強い。
公開オーディションがその最たるものであり、他には大吉山のくみれい、大好きのハグ、死ぬほどくやしい気持ち等々である。
久美子の成長を描くことに重きを置いたという監督のインタビューを鑑みると、過去との比較は成長を分かりやすく伝える手段であり得心がいく。

#13話における改変

久美子の成長にフォーカスを当てた一方で、割をくってしまった要素も多々存在する。この記事ではその是非は問わないが、何がどのように変わったのかを書いておきたいと思う。原作小説では、大会が終わった直後(2年生編にて、部長に専念したいからという理由で別れた)久美子と秀一の復縁シーンで幕を下ろす。
一方で、アニメではこのシーンは影も形もなくカットされ、かろうじて二人の関係を示すイタリアンホワイトのヘアピンが黄前先生の歩くシーンで見える程度しかない。この改変は、3期より戻ること2作、2年生編を描いた劇場版『誓いのフィナーレ』(以後、『誓』)に端を発する。2年生編の原作では、これまた久美子と秀一の二人によってラストシーンが描かれる。
『部長として使命された久美子が、その職務に専念するため別れを切り出す』という、責任の重さと覚悟を感じさせるシーンで2年生編は終わる。

しかしアニメ版はこのシーンを中盤(合宿時)に改変している。私見にはなるが、「ユーフォに専念したい」と「部長に専念したい」では覚悟の度合いが違うよう思えるし、そもそも作者がラストに置いてあるエピソードをカットする形で改変してよいのか、と当時は思った。
ただ、アニメ版は1期から塚本秀一に厳しいというか、くみれいを全面に押し出すあまり、秀一と久美子の関係性が強く描かれない傾向にあった。自分の狭い観測範囲では、この一連の(しゅうくみに関する)改変は、3期12話のそれと比べてあまり不満の声が聞こえてこない。もし、「結末に関する改変はよくない」と主張するのであれば、『誓』の時点で声を上げてしかるべきではないだろうか。そうでないなら、ただ12話の結末が納得できない気持ちをぶつけているだけではないだろうか、と思った。

話がそれたが、「じゃあお前はどう思ってるんだ」という話をしておきたい。
私は、前の記事で書いたとおり12話の改変には肯定的で、一方の13話については割と否定的に感じている。

しゅうくみ関連は取捨選択したテーマからして仕方ないとしても、夏紀先輩と優子先輩のあの失態はちょっと度しがたいというか、ずっと頑張ってきて引退した後も後輩のこと気に掛けてくれてるひとたちを軽く扱いすぎじゃないかな……とかなり残念に思えた。

『誓』についても否定的なのは同じで、本当は2年生編をテレビシリーズで再編してほしくて、
削られた小日向さんの成長譚も見たいし、久石奏の説得は原作通り夏紀先輩にぶつかってほしかった(←超重要)。

そんなわけで私は改変しても全肯するつもりはないが、だからといって公式を非難したりましてや罵詈雑言をぶつけたりといった大人気ない行為をするつもりはなく、こうして淡々と感想を綴るばかりである。

響け!ユーフォニアム、なんだかんだ言って最後まで楽しかったです。ありがとうございました。

「響け!ユーフォニアム」アニメ3期12話における改変について

※本記事は、ユーフォ原作小説(最終楽章 前・後編)およびアニメ3期12話までのネタバレを含みます。

6/23(日)に放送されたユーフォ3期12話について、原作から大きく改変があったことで周辺がにわかに盛り上がっています。そこで本記事では、具体的にどこがどう変わったのかを踏まえ、原作既読者としての感想を書きたいと思います。

#前提情報:黒江真由について

黒江真由という、3期初登場の新キャラについて。
原作者いわく「黄」と「黒」を合わせると警戒色(「というお遊び的」)な意味のあるキャラクターとされています。また久美子が1年生のときから越えるべき壁として存在していた田中あすかを思わせる銀のユーフォを携えているところから、明確に『久美子にとってのラスボス』という立ち位置に居るキャラクターです。
名前やアイテムからこのあたりを読み解いていると、少しは印象が変わるかもと思ったので始めに補足しておきます。

#原作→アニメの代表的な変更点

1/公開オーディション
アニメ:あり  原作:なし(通常の個別オーディションのみ)

2/全国大会でのユーフォ(ソリスト)オーディションの勝敗
アニメ:真由  原作:久美子(劇的な展開はなく、普通に名前を呼ばれるのみ)

3/大吉山のくみれいシーン
アニメ:あり  原作:なし(※山に行くシーンはあるが、久美子が負けないのでイベントが発生しない)

4/真由との和解
アニメ:あり
原作 :なし(最終オーディション前にいつもの辞退問答をしたのを最後に、エピローグを含めて以後言及なし)

5/黒江真由の背景
アニメ:自分のせいで友だちが部活を辞めてしまった過去があることが12話で発覚
原作 :↑の設定無し。(親が転勤族という設定など、アニメでは出てない設定あり)

6/全国大会の結果
アニメ:最終回待ち。ここも変わる可能性あり
原作 :金賞

7/その他
久美子と麗奈の冷戦終結が原作だと関西大会後だったり、田中ハウス訪問イベント時期や、求くん周りのイベントもいろいろ変更されています。また黒江的には、「全国大会を目指す人は挙手」のシーンに同席させていないなど、細かいところで最初期から改変されています。

#結果改変に関する是非

本題に入ります。
ここで物議を醸しているのは「原告大会のソリ(=ソロの掛け合い)パート奏者が主人公:黄前久美子からライバルキャラ:黒江真由に変更された」という点だと思います。これ程大きな改変はユーフォ1部2部を通して今回がはじめてですが、真由周りに関しては3期の最初期から細かな変更が散りばめられ、この結果に説得力を持たせる下地、「もしかして主人公が負けるのでは」と本気で思わされるような変更が行われてきました。それが構成上の都合なのか、12話に向けたものなのかは分かりませんが。

なので、今回の話だけをみて『改変された』と憤っている人と、最初から追って(変更点を観察してきた)人で、感じ方が少し変わるのではないかと思っています。なお、自分の周りの狭い観測範囲ですが、先週あたりから「もしかしたら展開変わるかも」という予感をつぶやいている人はいましたし、唐突な変更とは感じませんでした。
(怒っている人に聞きたいんですが、1期2期や3期中盤までの改変には文句を言わず、今になって「改変は良くない」っていうのはアンフェアじゃないですか?許される・許されない改変の線引きを自分で決めていませんか?)

具体的にどこが変わったのかというのは枚挙に暇がなく、12話に収める構成の都合上カットされたりイベントの順番が前後したりと全部は書き切れないので、重要な変更点だけ述べます。それは、オーディション辞退に関する記述です。
黒江真由はことある毎に「(ソリの)オーディション辞退しようか?」と投げかけ、黄前久美子は建前上の正論で「上手い人が吹くべきだよ」と言うやり取りが繰り返されています。
※このあたりの確執については、詳細は前回の記事参照

原作では、5回に渡る辞退宣言にも関わらず久美子は上っ面の回答を続け、お互い同じやり取りを繰り返すのみで話が進まず、最終的に久美子がオーディションに勝ったあとも本件には触れられないまま終わってしまいました。

一方でアニメ版では、合宿時にはじめて変化が訪れます。
「上手い人が吹くというのは建前でしょ?(転校生の自分より、頑張ってきた部長に吹いてほしいと皆が思ってる)」と声を荒げて久美子に反抗する真由の姿は、原作ではついに見ることのできなかったものでした。

このシーンの直前、真由の目の前で起きたイベントがふたつあります。
ひとつは、ユーフォのパート練習の中、後輩の久石奏が「久美子先輩と高坂先輩のソリが~」と、あたかも決まっているかのように話し、久美子もそれを否定しなかった、というもの。
ふたつめは、久美子と真由が話している最中に高坂麗奈がやってきて、久美子にソリパートの練習を持ちかけるというもの。

立て続けに、自分を蔑ろにされるようなことを言われ、久美子もそれを否定してくれないという事実が重なった上での感情の爆発は、責められるものではないと思います。
よく聞く感想で「黒江真由は久美子じゃなくて先生に直談判すべきだったのでは」というのがあります。私もそう考えたことがありますが、最近もしかしてと思うことがあります。久美子がタテマエの答えを繰り返すなら、その仮面を剥がして本音で話してほしい。そう思ったからこそ意固地になって辞退botを繰り返したのでは?と思うようになりました。これは妄想です。

#12話の感想

久美子について、今回の敗北でソリを吹くことより大事なものを手に入れたという意味で、負けてよかったと言ってもいいくらい良い改変に思いました。
(アニメだとまだ明言されていませんが)教師として指導者として生きていくことを決めた久美子だからこそ、「上手くなりたい」というこれまでの価値観から離れ、ソリを吹けなくても部長を全うすることに誇りを持って向き合えるようになった、と解釈しています。
久美子と麗奈は、それぞれ「全国で一緒に吹くことで、『特別』を維持できる」と考えていた節がありましたが、久美子は考えを改めたように、麗奈も演奏者としての立場として「どちらが久美子の音か判った上で、上手な方を選ぶ」という選択をしました。
二人とも、『特別』であるための手段としてのソリ演奏よりも、この後の人生もずっと特別であるための選択ができるようになった、という大きな成長が描かれており、もうすでに全国の結果云々より素晴らしいものを得たと言っても良いと私は思います。

もし久美子がオーディションで勝っていた場合、くみれいは全国金という思い出によって特別を維持する関係になっていたかもしれないけれど、それは現在の延長線上にある『特別』であり、今後の未来でふたりが続いていくかというと、私は懐疑的に感じました。盲目的に互いを信じていた関係から脱却して、演奏を通じなくても特別で居られる関係を作るために、この敗北は必要だったのではないかと思います。

「原作のハッピーエンドの方がよかった」という意見も、それはそれで否定しません。ただ私は、高校生活のきらめきをずっと胸に残して大人になる、というのは、高校生活を人生の頂点としたもので、これからも人生が続いていく二人なら、アニメ版の方が断然ハッピーエンドだと思いました。繰り返しますが、どこに焦点を合わせるかの違いであって、優劣をつけるものではありません。

ただ、この敗北によって久美子の立ち位置が鮮明になって、作品を締めるにあたってテーマに決着をつけるという意味ではとても上手な改変だなと思いました。大吉山でふたりが哀哭するシーン、過去との訣別といえる悲しみだけじゃない前向きな涙が流れたところまで含めて、とても綺麗な物語でした。

#蛇足

結局のところアニメの方が良かったのか?という話。
特に、好きなキャラである黒江真由単体でみると、人格形成に関わる過去の出来事や生い立ちが変更されていることもあり、別キャラのように感じていました。その点で、アニメを手放しで賞賛することはできません。私としては、原作で読んだ「悲しい過去などもなく、得体の知れない性格の」黒江真由と久美子がしっかりぶつかり合って落とし所を見つけるところが観たかったです。残念なのはそれくらいです。

ちょうど今週、全国大会以後を描いた短編集が発売されるんですが、原作の黒江/黄前が仲良くやってる姿があまり想像できないので、どう描かれているのか大変期待しています。

ユーフォ3期における「くみまゆ」問題について

※この記事には、ユーフォ3期アニメ8話まで、および原作最終章のネタバレが含まれます。

「北宇治高校吹奏楽部では、人間関係を切り離した人選を受け入れることができるか?」
という未解決の命題があります。

第三楽章(2年生編)では、夏紀先輩と久石奏が揉めに揉めた一件では、久美子と夏紀の説得により一応の納得をした久石ですが、結果的に夏紀・奏ともにコンクールメンバーに選ばれたため、夏紀が落ちて奏が受かっていたらどうなっていたのか?という疑問は残ったまま終わりました。まあ実際のことろ、優子部長と夏紀よる支援があれば風通しのよい空気を醸成することはできただろうなと思います。

では、最終楽章(=アニメ3期・3年生編)ではどうか。
『自分が受かったら周りの空気が悪くなる』と危惧する黒江真由と、『そんなことはない・大丈夫』と反論する久美子との溝は時を経るにつれ深いものになっていきます。
本当に大丈夫なのか?という疑問について、私見として回答を書いてしまうと、大丈夫ではないと思います。
「なつかな」の時も、その前年のトランペット対決のときも、幹部組の尽力によって瓦解は防がれていますが、くみまゆの件に限っていえば久美子は何もできません。なぜなら、久美子の本心は全国金よりれーなとのソリが大切で、しかもそれを公言できない立場にあるからです。
そうした自己矛盾を抱えたまま、うわべだけの言葉で『大丈夫』と言い続ける久美子と、猜疑心を膨らませていく真由という構図、それが最終楽章を通して描かれる問題です。

以下、二人の立場や意志について解説していきたいと思います。

#比較

まず、久美子と真由の思惑について確認しておきます。
項目を3点に絞って比較すると、以下のようになります。

<大会に向けた目的>
久美子:全国金
真由  :楽しく吹ければ良い(できるなら、上手い人達と吹きたい)

<内心>
久美子:れーなとソリを吹きたい。辞退されず、オーディションで勝ち取りたい(=特別な存在として在るためにはそれが必要)
真由  :自分が選ばれて空気が悪くなるのはいや(=楽しく吹けなくなる)

久美子の思惑について端的に言うと、表向きは全国金を目指すといいながら内心では個人のエゴを優先し、その上その事実から目を逸らしています。対して真由は、楽しく吹ければ結果はどうでもいい。楽しく吹けなくなるから自分は辞退したい、という想いを一貫しています。

久美子は真由に対して「全国金のため、オーディションに参加してほしい」、「全力を尽くしてくれたら私もうれしい」と口にしますが、真由にはそれが信じられません。低音パートの中でも聞こえてくる、くみれい当確の空気、それを後押すように何度も皮肉を口にする久石奏の活躍によって、久美子と真由の信頼関係は築かれることなく時が過ぎていきます。
合理的に考えれば、オーディションの結果を抜きにして久美子が吹けば空気の悪化も防げて一石二鳥のはずなのに、「オーディションを経ずに選ばれたくない」というエゴが邪魔をして、真由の提案に対して向き合うことができません。
この自己矛盾は、8話のあとに某氏によって指摘されてさえ向き合うことなく、全国大会が始まり終わってしまいました。

 

#くみまゆ辞退バトル

全5回(原作準拠)行われる辞退宣言それぞれを見ていきます。

①オーディション形式発表直後(6月)
  • 「そのオーディションって、辞退とかできないのかな」
  • 清良ではオーディションを辞退しようと思ったことは一度もない
  • 清良では、みんな喜んだし
  • 「北宇治でも同じだよ」「本当に?」
  • 辞退して喜ぶ人間がいると思われるのは不愉快

すでに疑心暗鬼になっている真由と、北宇治なら大丈夫と言い切る久美子。
ポイントは、「清良だったら辞退なんてしない」、つまり北宇治での自分は外様だと認識している点です。

②府大会オーディション前日(6月)
  • 「やっぱり私、辞退しようか?」
  • 「私のせいで二人のうちどちらかが落ちたら申し訳ないというか……」

どちらか、とはいいつつ、直前の文脈から久石奏が落ちることを危惧しているのが分かります。
暗に自分の方が上手いと言っているんですが、本人には悪意がないのがひどい。
他の場面でも時折あるんですが、真由ってデリカシーのない発言がちらほら見えて、それが久美子との確執に一役買ってるんですよね。

③関西大会オーディション直前、合宿所の風呂にて(8月)
  • 「今日のソリのオーディション、私、辞退しようか」
  • 「全力を尽くしてくれた方が北宇治のためになるし、私だってうれしい」

真由が久美子の言葉を信じられてないのは以前からのことですが、久美子の方も自分の気持ちを客観視できていない。それが真由に見透かされるという悪循環。
その後の発表時、真由がソリストに選ばれたときのどよめきは、原作よりアニメの方がしっかりと描かれていて残酷でした。
「Aメンバー入りを逃した部員の中で、久美子を応援するのがブームになって」いるという報告もあり、久美子のいう『北宇治は大丈夫』が空しく響いていきます。

④文化祭(9月)
  • 「私、やっぱり次のオーディションは辞退した方がいいと思って
  • 「真由ちゃんは吹きたくないの? 自分の気持ちに正直になっていいんだよ?」
  • 「私はいつも正直なんだけどな」

もう決定的にすれ違っていて、笑うしかありません。
最初からずっと吹きたくないと言っている真由と、その言葉の奥にある気持ちを考えられない久美子。
1年前の夏紀と奏の件で、「北宇治は大丈夫」と盲信しているのか、自分のことでいっぱいで視野狭窄になっているのか、あるいは両方か。

⑤全国オーディション前日(9月)
  • 「今度のオーディション、私ね、やっぱりソリを辞退したほうがいいんじゃないかって思って
  • 「どうしてそんなこと言うの、ここまで来て」
  • 「ここまでっていうか、私、ずっと言ってきたけどなぁ」

この直後、久美子はここにきてようやく真由の真意(吹かなくていい・空気の方が重要)を知りますが、それを『北宇治のあり方とあまりにかけ離れている』と拒絶的に受け取ります。
逆に真由は「私がソロを吹くの、本当は意やじゃなかった?」と久美子の真意を問いますが、部長としての立場が本音を口にするのを邪魔してしまいます。

ここまで5回にわたる辞退宣言を振り返ってみると、久美子は部長としての自分を盾にして真意を隠し、自分の脅威である真由の気持ちを推し量ろうとするのを避けているように見えます。
かといって真由に問題がないかといえばそうではなく、頑なに久美子を通して説得しようとしているのは意地っ張りのように見えますし、伝え方にしても同じことのくりかえしでコミュニケーションが取れているようには思えません。久美子を飛び越えて滝先生に直談判してもよかったし、穏健派の副部長を使う手もなくはありません。

どっちが悪いというわけでなく、どっちも人間として未熟なところがあって、それだけじゃないかと思います。陳腐な結論ですが。

#最後に:じゃあどうすればよかったのか

「北宇治高校吹奏楽部では、人間関係を切り離した人選を受け入れることができるか?」
という最初の命題に戻りますが、もし二人が本音を吐露しあうことが出来ていれば、限りなくベストに近いエンドに迎えるのではないかと思います。
例えば久美子が、『負けたくないし、負けたら空気が悪くなるかも知れないけど戦って』と少年漫画のようにライバル宣言したり、真由が『私が勝ったら一番に喜んで』と久美子と約束できれば、多少は違った展開になるかなと妄想しましたが、これはあくまで妄想です。
こういった「たられば」の話はいくらでも出来てしまいますし、そういうのは二次創作でやればいいと思います。
(AD:唐突な宣伝ですが、じゃあ真由がどう立ち回ればよかったのか・どうして真由はあんな思考を持つに至ったのかを考えた二次創作の小説(R18)を書きました。6/21に向けてメロンブックスで予約受付中(※R18注意)ですので、人を選ぶ本ですけど、よかったら。)

原作では最後まで和解できなかったくみまゆですが、アニメ時空ではなんと口論をするまで衝突が始まりました。もしかしたら、原作では見ることのできなかったTrueEndに辿り着けるのではないかと、そればかりを期待しています。

とっちらかってしまいましたが、くみまゆについて言いたいことは以上です。

 

#蛇足:久石奏について

石奏についてはいいたいことがたくさなります。
好きなキャラのことを悪くはいいたくないのですが、原作・アニメともに久石奏、ダメダメです。
前作(2年生編)では夏紀先輩による優しさを知り、中学生時代には悲しみを知っている久石は、おそらく誰よりも黒江真由に寄り添えるはずの人間でした。
それなのにこの子ときたら久美子の腰巾着に収まるだけでなく、久美子が選ばれるのが当然とばかりに黒江を挑発しつづけるという悪漢ぶり。夏紀先輩も川の影で泣いている。

しかしまあ、久石の知性がナーフされなかったらくみまゆの確執はこんなにこじれることなく、ギスギス吹奏楽部にならなくなってしまうのも分かります。作劇の都合でアホの子にされてしまった石奏を不憫には思いますが、それでもやっぱり格好良い久石奏が見たかったです。

 

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