投稿者: usui

パリに咲くエトワール(試写会)感想

 

パリに咲くエトワール、ありがたいことに試写会に当選したので拝見してきました。
以下、普通にネタバレ感想です。

本作、
何においても薙刀がよかったですね。所作が美しくて、戦闘シーンは目を輝かせてみてました。
しかし最終決戦のアレはなんだったんでしょうね……

全体を通して感じたのは、「踏み込まないのは優しさか」ということ。
作中描写の大半で、相手に対して踏み込むような言動を取って衝突を感じそうなところで引いてしまう、シーンがスキップされてしまっているように見受けられました。
これはストレスフリーではあるんですが、そこを飛ばしていいんだ?と違和感を覚えることが多かったです。
あの両親をどうやって説得したのか、とか、帰国をせまられたときにどう抗ったのかとか、主に主人公周りでそういったシーンが多かったのと、画家としての苦悩がほとんど描かれてなかったのがとっても残念でした。絵を諦めて誰かを応援する立場になるのかな?と思いきやそんなこともなかったり、最後にとってつけたように約束を取付けられたりともったいなかったです。キャラクターとして魅力があるだけに、倍の尺つかって彼女の物語も描いてほしかった、そういう意味では世界名作劇場だったらよかったかもしれない。

もう一方のメインキャスト千鶴さんはずっと主人公やってて、師匠先生に恵まれた成長譚として面白かったです。ラストバトル以外は……
オルガ先生いいですよね。最初登場したとき、彼のお姉さんかな?と思ったので母と言われたときはよくマンガで見る「お姉さんじゃないの!」って台詞を吐きそうになるやつなりました。
「踏み込まない」作品の中で、比較的一番相手に踏み込んだり引かなかったりするキャラクターしてて、彼女のおかげで芯が通った作品になっていた気がします。

あと、何度も言ってるんですがラストシーン、いきなりリアリティライン下げるのはどうなんでしょうね(薙刀ラストバトル)。
笑えるくらい面白いわけでもなく、いやそうはならんやろと思ったところにメカデザインの本領発揮で追い打ちかけられてようやくこれ笑っていいんだと思いました。

なんだかんだでハッピーエンドでしたが、スタッフロールはガッツリと闇の絵画で占められていて、
もし本作を子供の頃に観ていたら、きっと大人になった後で見返してはじめて気付くんだよなこれ~と思いました。

 

超かぐや姫!感想

今更の感想。

予告が出たときから楽しみにしていてネトフリで初日に鑑賞してガイドブックも買ったし映画館にも見に行った人間の言うことなので多少の色眼鏡はご容赦ください。

# 振り回されるのが楽しい

突然降ってきて育ってはしゃいで落ち着く間もなく彩葉を振り回しているかぐやが楽しすぎて好き。
かぐや、動きすべてがいちいち楽しくて画面に映っているだけで元気が出る。
こんどHoloModelsが出るというのでもしかしたら初めて買っちゃうかもしれない。それくらい全ての動作が好き。

#月と海

「かぐや姫」というわりに、月じゃなく海寄りのモチーフがたくさん出てきたような気がする。
ヤチヨは見るからに乙姫だし手持ちはメンダコだしツクヨミは名前のわりにどちらかといえば竜宮城っぽさを感じたし、ついでにかぐやの境遇は浦島某のそれである。
このあたり教養がないのでどうしてそうなってるのか知りたい。調べます。調べるのは大好きです。

#八千年の航路

かぐやが過去から現在までに出会ってきた人達との挿話、あれ全部すごくよかったですよね。
ネトフリの字幕を使うと名前が出ると聞いて見直したんですが、出てきた順に
神功皇后、権中納言敦忠、淀殿、吉原の花魁、明治時代の文豪、花売りの少女、CIAの男性となっていました。
この人達の話だけで映画作れそうなくらい想像力をかき立てられるくらい好きなんですが、
それはFUSHIが彼らと出会って縁を結んでも何も出来ないまま別れを告げてきたこととセットになっていて、自分のエゴを貫くために何を選んできたのかの歴史が積み重なってるところが愛おしくてたまらんのです。
ヤチヨの笑顔に寂しさが宿っている背景をこんなに見せられたら、笑ってるところみるだけで泣いちゃうようになってしまいました。
このシーンに入る前、「ヤチヨは さっき久しぶりに本当にうれしそうだったんだ」って台詞があるんですけどね、その笑顔が彩葉との再会のときでもなくライブのときでもなく、ここなんだなと思うといろいろ感じ入るものがあります。

#rayのMV①

実質本編ですよこれ。ネタではなく。

「月に帰ってめでたしめでたし」と竹取物語の〆を彩葉が語っていましたが、それは正しくありません。
現存する竹取物語のラストは、姫が戻ったあとに残された側の話がエピローグとして描かれています。

かの奉れる不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には、調の岩笠といふ人を召して、駿河の國にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文不死の藥の壺竝べて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士ども數多具して山へ登りけるよりなむ、その山をばふじの山とは名づけける。その煙、未だ雲の中へ立ち昇るとぞいひ傳へたる。
https://jti.lib.virginia.edu/japanese/taketori/AnoTake.html

姫から贈られた不死の薬、これを帝は「調岩笠(つきのいはかさ)」に命じて駿河の国にある山の頂きで燃やさせます。
これがrayのMV冒頭のシーンと繋がっていることは疑いようもなく、「不死の薬を捨てる」=「かぐやのバックアップ機構であるタケノコを捨てることで、代わりの効かない唯一の個体となる」ことを示しています。
MV(2:10)で彩葉が『私はかぐやを本当の意味で人間に』とメールを書いているシーンがさし込まれています。その直前の文章には『私の真意を率直に述べさせていただ(※画面が切れてここまでしか読めない)』とあることから、タケノコの廃棄について独断ではなく研究室(?)の合意を取ろうとしていることが読み解けます。

こんな重要なシーンをどうして本編に入れなかったのか!
作品のテーマのひとつに「ハッピーエンドとは何か」があると思っているんですが、その視点から見て、ここまで入れるかどうかの葛藤があったのかもしれませんし、ラストの展開としてすっきりしないという判断だったのかもしれません。
ただ、やはりテーマ的に考えてこのMVも本編の一部であるよなと強く思ってしまいます。

Tipsですが、山下清悟監督のMVへのコメントに「※MVのとあるシーンの補足ですが専門知識を持った彩葉が許可を取り近未来技術で岩盤を溶解化して掘っているので現代の皆さんは絶対に真似しちゃ駄目ですよ!」とあります。コンプライアンスの徹底された作品。

#ハッピーエンドとは何か

作品のテーマのひとつに「ハッピーエンドとは何か」があると勝手に信じ込んでいるんですが、じゃあハッピーエンドの定義って何だという話です。
人間、生きていれば山あり谷ありですから、どこかで切り取るか、あるいは命が潰える瞬間に判断するかしかないと思います。
本作の後半イベントを並べると、

①アパートでタケノコと再会、真実を知ってかぐヤチヨと再会
②研究者の道を進み、人間としての再会(本編エンド)
③タケノコ廃棄(ray MV)

といった感じですが、なんなら①の時点で終わってもわりかしハッピーなのでは?とも考えられます。
ただ、それを本作は否定していて、①では欠けているものがあります。それは、「同じ時間を生きられる」という条件です。
感情的には再会を果たしていますが、片や人間、かたや永遠の命を持つ存在で、その非対称性は悲しみをはらんでいることが、かぐやの出会ってきた人達との思い出としてすでに語られています。だからこそ②に進んで「終わりを共有できる存在」になることが、本作におけるハッピーエンドの条件なのだと考えました。
捻くれた視点から見ると「ふたりで永遠を生きればいいじゃん」とも考えましたが、そもそもかぐやが人間の人生に意味を見出したことから始まった作品としてそれはありえないでしょう。

よって、有限、かつ可能性が開かれた状態であればそれはいつでもハッピーエンドなんだよ!と個人的に結論づけて一旦この話を締めたいと思います。

#rayのMV②

再び話を戻しますが……
自分はrayという曲が好きで好きで、Bumpのライブにはじめて行ったのもこの曲ができた頃でした。
なもんで、前情報なしで鑑賞してエンディングに入った瞬間にイントロが流れてきたとき叫んじゃいました。
この曲は、明るい曲調と裏腹に喪失と再起を軽やかに歌っています。
では、その想いは作中の誰に重ねられるか。私は、ヤチヨだと思って聴いていました。

物語はハッピーエンドで終わり、かぐや(ヤチヨ)は不死の代わりに肉体を手に入れ、現実世界で生きていけるようになりました。
作中ラストの描写では、いろPとかぐやが並んだ写真がたくさん出てきます。復活ライブも二人でやっているように見えました。
そんなところに、まさかの三人ライブシーンですよ。
いやもちろん以前の時空という可能性もなくはないですけど、このMVは全体的に未来時空の話を描いてるので、それはないかなと思います。

あのヤチヨは誰なのか。
魂はかぐやに移っているのは確かとして、ならばアバターとしてのNPC的存在かというと、本作でそんなことするとは思えません。
であれば、(これは直感的推論であり根拠はまったくないのですが)あのヤチヨは、かぐやが人間になった瞬間に残った何かから生まれた、純粋な存在としてのヤチヨだったりしないかな、と思ってしまいました。ヤチヨを構成していたものの中で最も大切な「彩葉を好きな気持ち」をかぐやにあげて、ツクヨミを愛する存在としてのヤチヨがあの瞬間に生まれ、そして新しい関係を三人で築いていったならいいなと願望マシマシで思っちゃいました。そうであってくれ。

#統括

ノリと勢いでバッドエンドをハッピーエンドに変えてやったぜ!という意味での「超」が清清しい作品でした。
あえて語らない余白がたっぷり残っていたり、ツクヨミの世界観など、キャラクターの魅力以外にもたくさんの見所があって何度も何度も見返したくなる素晴らしい作品だと思います。
幸い、まだ劇場公開が続いたりクラファンその他の展開も多々ありそうですし、しばらくは楽しめそうです。2026年の初めから良い作品に出会えて幸いでした。

以上、感想まで。

 

 

余談

・チネチッタのLIVE ZOUNDで観てきました。
壁ドンとかアパートの生活音が後ろの方からリアルに聞こえてきてびっくりして面白かったです。

クラファン

「グッズ化してほしいな~」と思っていたヤチヨ神棚がここで出てしまった。しかも後日販売予定なしということで申し込んでしまいました。(まあマイナーチェンジして出すかもしれないけど後悔はしないのでOK)
ちょっと気になったのは、ここのプラットフォームって目標額の提示なしで達成率だけ提示してるけど景表法とか消費者契約法とかそこらへん問題ないんでしょうかね。門外漢なので見当外れなこと言ってるかもしれないし、入金してから言うなって話だけど少し気になったのでここに書いておく。

 

260117

『騎士団のヴェール』は、シャニマス未履修でも楽しめるミュージカル作品です。(2025/12/27-28)
世界観も物語も舞台単体で閉じていて、「アイドルが中世ファンタジーの舞台をやる」という一点だけで話は通じます。

■アンティーカ
本作に出演する5人が所属する「アンティーカ」は、シャニマスの中に出てくるユニットのひとつです。
特徴として
・ゴシック調
・中世・幻想モチーフ
・個々のメンバーは明るいのにユニットとしては「影」を背負っている
といった感じです。

このユニットに、
「騎士団」「吸血鬼」「共存」
というモチーフをぶつけたのが『騎士団のヴェール』です。

「守っている秩序は誰のためのものか」「正義は常に正しいのか」というテーマのもと、大切な人を切り捨てる選択を見届けられる3公演(舞台なのにマルチエンド)となっており、また初見でも何らかのカップリングにはまる人が続出している(個人調べ)わかりやすく重い話です。

大好きな人が『世界から排除される存在』だと知ってしまったら、それでも一緒に居られるか。そう突きつけられる少女と少女の話でもあり、最後まで感情を手放さない強さを描いた話でもあります。このあたりストレートに強火な要素なので多くは語りません。

また、抑えておきたい文脈があります。
シャニマス内イベントシナリオ のひとつに「かいぶつのうた」という話があります。

アンティーカの5人が人狼ゲーム風のドラマを日替わりシナリオで演じるという、まさに「騎士団のヴェール」そのものの話です。「かいぶつのうた」の裏テーマに、『本当のかいぶつとは何か』というものがあります。

※以下ネタバレ

「かいぶつのうた」内の作中作を作っている脚本家として、モブキャラの「御子柴さん」という天才脚本家と、そのアシスタントの「雨竜さん」が出てきます。御子柴さんは天才らしく奇行を繰り広げながらも、周りからは「天才ってああいうことするよね」と受け入れられ、雨竜さんがフォローしているという関係です。
しかし本シナリオのエピローグでは、実は天才脚本家は雨竜さんの方で、御子柴さんは雨竜さんの代わりに表舞台に出てもらうためのゴーストライターであることが明かされます。
「ほんとうのかいぶつは、かいぶつであることを隠さないといけない。だって、そうしないと迫害されてしまうから」そんな一説でこのシナリオは終わります。

話を「騎士団のヴェール」に戻します。
人間と吸血鬼というモチーフで、「かいぶつとは何か」という話に改めて踏み込むことが示唆される中、事前販売された公式パンフレットを読むと、実在スタッフ一覧の中にひっそりと「原案:御子柴 宏、雨竜静香」の名前がありました。
(シャニマスという作品はこうやって作品を現実に浸食させる手法を使ってくるんですが、過去シナリオのモブを急に持ってきて、しかも観客がみんなそれを知ってる前提でやってくるのがそういうとこやぞポイント高いです)

「かいぶつとはなにか」「ひととかいぶつは共存できるのか」が描かれる本作を、ぜひ観てほしいと思ってこの記事を書きました。

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