投稿者: usui

プロジェクト・ヘイル・メアリーを観た

3/20公開だと耳に届いてからというもの、長いこと積んでいた小説上下巻を急いで読み進めた。
いっそのこと未読のまま新鮮な体験をすべきか悩んだものの、知ってから観た方が絶対楽しいよねという心の声に従ってどうにか読了。
上巻読むのに2週間かかったのに下巻は半日で読み終えた。SF小説というのは序盤の設定解説などを山を乗り越えると途端に読むのが楽しくなる、それが楽しい。

映画本編は、小説版の魅力である知的探求や設定開示の解説の多くがスキップされて、コメディ寄りの作風になっていたよう思う。それをもったいないと思う気もするし、客層を考えた結果だと受け入れたい心もあった。本作(原作)の好きなところはやっぱりファーストコンタクトからコミュニケーションを取れるようになるまでの試行錯誤しているところなので、そのあたりサクっと進んでしまったのは残念だった。そこに限らず、思考的な苦難が描かれず、困難らしい困難はラストの釣りシーンくらいだった。説明ばかりだと眠くなる人も多いだろうし、このあたりの取捨選択は大変だったと思う。自分は、読み終えた時点で「これを映像化するならどうなるだろうか」というのを妄想しながら映画館に足を運んだので、答え合わせをするような楽しみ方をできて幸せだった。よい、よい、よい。

そういえば、宇宙船の造形、ランデブーのシーンなどを含めて、全体的に『2010年(※映画版には「宇宙の旅」がつなかい)』を思わされる点が多かった。あえてやっていたのだろうか。トンネルに入っていくところとか、他にもあった気がする。

パンフを買わずに帰ってしまったものの、あとになって読みたくなってきたので2回目行ったら買うかもしれない。ついでに調べたら本作はグッズが何も存在しないというのが実にもったいない。本国では公式でロッキーのぬいぐるみがあるらしいので国内配給には頑張ってほしい。個人的にはブリップA型の水筒とか人形劇セットとかほしい。プラモもほしい。出ませんか、質問。

パリに咲くエトワール(試写会)感想

 

パリに咲くエトワール、ありがたいことに試写会に当選したので拝見してきました。
以下、普通にネタバレ感想です。

本作、
何においても薙刀がよかったですね。所作が美しくて、戦闘シーンは目を輝かせてみてました。
しかし最終決戦のアレはなんだったんでしょうね……

全体を通して感じたのは、「踏み込まないのは優しさか」ということ。
作中描写の大半で、相手に対して踏み込むような言動を取って衝突を感じそうなところで引いてしまう、シーンがスキップされてしまっているように見受けられました。
これはストレスフリーではあるんですが、そこを飛ばしていいんだ?と違和感を覚えることが多かったです。
あの両親をどうやって説得したのか、とか、帰国をせまられたときにどう抗ったのかとか、主に主人公周りでそういったシーンが多かったのと、画家としての苦悩がほとんど描かれてなかったのがとっても残念でした。絵を諦めて誰かを応援する立場になるのかな?と思いきやそんなこともなかったり、最後にとってつけたように約束を取付けられたりともったいなかったです。キャラクターとして魅力があるだけに、倍の尺つかって彼女の物語も描いてほしかった、そういう意味では世界名作劇場だったらよかったかもしれない。

もう一方のメインキャスト千鶴さんはずっと主人公やってて、師匠先生に恵まれた成長譚として面白かったです。ラストバトル以外は……
オルガ先生いいですよね。最初登場したとき、彼のお姉さんかな?と思ったので母と言われたときはよくマンガで見る「お姉さんじゃないの!」って台詞を吐きそうになるやつなりました。
「踏み込まない」作品の中で、比較的一番相手に踏み込んだり引かなかったりするキャラクターしてて、彼女のおかげで芯が通った作品になっていた気がします。

あと、何度も言ってるんですがラストシーン、いきなりリアリティライン下げるのはどうなんでしょうね(薙刀ラストバトル)。
笑えるくらい面白いわけでもなく、いやそうはならんやろと思ったところにメカデザインの本領発揮で追い打ちかけられてようやくこれ笑っていいんだと思いました。

なんだかんだでハッピーエンドでしたが、スタッフロールはガッツリと闇の絵画で占められていて、
もし本作を子供の頃に観ていたら、きっと大人になった後で見返してはじめて気付くんだよなこれ~と思いました。

 

超かぐや姫!感想

今更の感想。

予告が出たときから楽しみにしていてネトフリで初日に鑑賞してガイドブックも買ったし映画館にも見に行った人間の言うことなので多少の色眼鏡はご容赦ください。

# 振り回されるのが楽しい

突然降ってきて育ってはしゃいで落ち着く間もなく彩葉を振り回しているかぐやが楽しすぎて好き。
かぐや、動きすべてがいちいち楽しくて画面に映っているだけで元気が出る。
こんどHoloModelsが出るというのでもしかしたら初めて買っちゃうかもしれない。それくらい全ての動作が好き。

#月と海

「かぐや姫」というわりに、月じゃなく海寄りのモチーフがたくさん出てきたような気がする。
ヤチヨは見るからに乙姫だし手持ちはメンダコだしツクヨミは名前のわりにどちらかといえば竜宮城っぽさを感じたし、ついでにかぐやの境遇は浦島某のそれである。
このあたり教養がないのでどうしてそうなってるのか知りたい。調べます。調べるのは大好きです。

#八千年の航路

かぐやが過去から現在までに出会ってきた人達との挿話、あれ全部すごくよかったですよね。
ネトフリの字幕を使うと名前が出ると聞いて見直したんですが、出てきた順に
神功皇后、権中納言敦忠、淀殿、吉原の花魁、明治時代の文豪、花売りの少女、CIAの男性となっていました。
この人達の話だけで映画作れそうなくらい想像力をかき立てられるくらい好きなんですが、
それはFUSHIが彼らと出会って縁を結んでも何も出来ないまま別れを告げてきたこととセットになっていて、自分のエゴを貫くために何を選んできたのかの歴史が積み重なってるところが愛おしくてたまらんのです。
ヤチヨの笑顔に寂しさが宿っている背景をこんなに見せられたら、笑ってるところみるだけで泣いちゃうようになってしまいました。
このシーンに入る前、「ヤチヨは さっき久しぶりに本当にうれしそうだったんだ」って台詞があるんですけどね、その笑顔が彩葉との再会のときでもなくライブのときでもなく、ここなんだなと思うといろいろ感じ入るものがあります。

#rayのMV①

実質本編ですよこれ。ネタではなく。

「月に帰ってめでたしめでたし」と竹取物語の〆を彩葉が語っていましたが、それは正しくありません。
現存する竹取物語のラストは、姫が戻ったあとに残された側の話がエピローグとして描かれています。

かの奉れる不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には、調の岩笠といふ人を召して、駿河の國にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文不死の藥の壺竝べて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士ども數多具して山へ登りけるよりなむ、その山をばふじの山とは名づけける。その煙、未だ雲の中へ立ち昇るとぞいひ傳へたる。
https://jti.lib.virginia.edu/japanese/taketori/AnoTake.html

姫から贈られた不死の薬、これを帝は「調岩笠(つきのいはかさ)」に命じて駿河の国にある山の頂きで燃やさせます。
これがrayのMV冒頭のシーンと繋がっていることは疑いようもなく、「不死の薬を捨てる」=「かぐやのバックアップ機構であるタケノコを捨てることで、代わりの効かない唯一の個体となる」ことを示しています。
MV(2:10)で彩葉が『私はかぐやを本当の意味で人間に』とメールを書いているシーンがさし込まれています。その直前の文章には『私の真意を率直に述べさせていただ(※画面が切れてここまでしか読めない)』とあることから、タケノコの廃棄について独断ではなく研究室(?)の合意を取ろうとしていることが読み解けます。

こんな重要なシーンをどうして本編に入れなかったのか!
作品のテーマのひとつに「ハッピーエンドとは何か」があると思っているんですが、その視点から見て、ここまで入れるかどうかの葛藤があったのかもしれませんし、ラストの展開としてすっきりしないという判断だったのかもしれません。
ただ、やはりテーマ的に考えてこのMVも本編の一部であるよなと強く思ってしまいます。

Tipsですが、山下清悟監督のMVへのコメントに「※MVのとあるシーンの補足ですが専門知識を持った彩葉が許可を取り近未来技術で岩盤を溶解化して掘っているので現代の皆さんは絶対に真似しちゃ駄目ですよ!」とあります。コンプライアンスの徹底された作品。

#ハッピーエンドとは何か

作品のテーマのひとつに「ハッピーエンドとは何か」があると勝手に信じ込んでいるんですが、じゃあハッピーエンドの定義って何だという話です。
人間、生きていれば山あり谷ありですから、どこかで切り取るか、あるいは命が潰える瞬間に判断するかしかないと思います。
本作の後半イベントを並べると、

①アパートでタケノコと再会、真実を知ってかぐヤチヨと再会
②研究者の道を進み、人間としての再会(本編エンド)
③タケノコ廃棄(ray MV)

といった感じですが、なんなら①の時点で終わってもわりかしハッピーなのでは?とも考えられます。
ただ、それを本作は否定していて、①では欠けているものがあります。それは、「同じ時間を生きられる」という条件です。
感情的には再会を果たしていますが、片や人間、かたや永遠の命を持つ存在で、その非対称性は悲しみをはらんでいることが、かぐやの出会ってきた人達との思い出としてすでに語られています。だからこそ②に進んで「終わりを共有できる存在」になることが、本作におけるハッピーエンドの条件なのだと考えました。
捻くれた視点から見ると「ふたりで永遠を生きればいいじゃん」とも考えましたが、そもそもかぐやが人間の人生に意味を見出したことから始まった作品としてそれはありえないでしょう。

よって、有限、かつ可能性が開かれた状態であればそれはいつでもハッピーエンドなんだよ!と個人的に結論づけて一旦この話を締めたいと思います。

#rayのMV②

再び話を戻しますが……
自分はrayという曲が好きで好きで、Bumpのライブにはじめて行ったのもこの曲ができた頃でした。
なもんで、前情報なしで鑑賞してエンディングに入った瞬間にイントロが流れてきたとき叫んじゃいました。
この曲は、明るい曲調と裏腹に喪失と再起を軽やかに歌っています。
では、その想いは作中の誰に重ねられるか。私は、ヤチヨだと思って聴いていました。

物語はハッピーエンドで終わり、かぐや(ヤチヨ)は不死の代わりに肉体を手に入れ、現実世界で生きていけるようになりました。
作中ラストの描写では、いろPとかぐやが並んだ写真がたくさん出てきます。復活ライブも二人でやっているように見えました。
そんなところに、まさかの三人ライブシーンですよ。
いやもちろん以前の時空という可能性もなくはないですけど、このMVは全体的に未来時空の話を描いてるので、それはないかなと思います。

あのヤチヨは誰なのか。
魂はかぐやに移っているのは確かとして、ならばアバターとしてのNPC的存在かというと、本作でそんなことするとは思えません。
であれば、(これは直感的推論であり根拠はまったくないのですが)あのヤチヨは、かぐやが人間になった瞬間に残った何かから生まれた、純粋な存在としてのヤチヨだったりしないかな、と思ってしまいました。ヤチヨを構成していたものの中で最も大切な「彩葉を好きな気持ち」をかぐやにあげて、ツクヨミを愛する存在としてのヤチヨがあの瞬間に生まれ、そして新しい関係を三人で築いていったならいいなと願望マシマシで思っちゃいました。そうであってくれ。

#統括

ノリと勢いでバッドエンドをハッピーエンドに変えてやったぜ!という意味での「超」が清清しい作品でした。
あえて語らない余白がたっぷり残っていたり、ツクヨミの世界観など、キャラクターの魅力以外にもたくさんの見所があって何度も何度も見返したくなる素晴らしい作品だと思います。
幸い、まだ劇場公開が続いたりクラファンその他の展開も多々ありそうですし、しばらくは楽しめそうです。2026年の初めから良い作品に出会えて幸いでした。

以上、感想まで。

 

 

余談

・チネチッタのLIVE ZOUNDで観てきました。
壁ドンとかアパートの生活音が後ろの方からリアルに聞こえてきてびっくりして面白かったです。

クラファン

「グッズ化してほしいな~」と思っていたヤチヨ神棚がここで出てしまった。しかも後日販売予定なしということで申し込んでしまいました。(まあマイナーチェンジして出すかもしれないけど後悔はしないのでOK)
ちょっと気になったのは、ここのプラットフォームって目標額の提示なしで達成率だけ提示してるけど景表法とか消費者契約法とかそこらへん問題ないんでしょうかね。門外漢なので見当外れなこと言ってるかもしれないし、入金してから言うなって話だけど少し気になったのでここに書いておく。

 

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