投稿者: usui

言葉の責任

※この記事は繊細ヤクザのお気持ち日記です。

前段

これの話です。
半年ほど前、私がフォロー外から@を送った相手から「現世においてあらゆる創作や批評を自重されたほうがいい五感のレベルだよ。自害しろアウラ⚔️」とエアリプを受けた件。および当該人物の運営する企画アカウントから7000人余りのフォロワーに向けて以下のような注意喚起を受けた件。

 

この言葉をもらった意味を毎日いまで考えて続けており、ユーフォのことに触れるとこれを思いだして楽しめなくなってしまったのでどうにかしたい、というぼやきです。

お気持ち

そんなことば捨て置けよ、というのは自分でも思いますし相談した人達にも言われました。
発言者が捨て垢とか素性も知らない人ならそれでもいいんです。しかし当該人物は同じジャンルで活動していて、大規模イベントの運営をしているような責任在る立場・またイベント垢では7000人超のフォロワーを持つ影響力のあるアカウントです。そして、ブロックされる前の言動を見ている限り、通常は言葉遣いも荒くない方です。そんな方に先のような人格否定とも取れる発言をもらったことは、自分にとって相当なショックでした。また、企画垢で茶化すような言い方で問題人物のように扱われたことも、「そこまでされるほど自分はひどいことをしたのか」と思わされました。

ぶつけられたことばをどう受け取ればいいのか分からなくて、弁護士にお金を払って相談に乗ってもらいました。その結果、自分の思っていた認識とそう乖離していないことが分かりましたが、それでも気持ちは晴れませんでした。ただ、ケンカをしたいわけではないので法的なアクションを起こすつもりはありません。

本題

タイトルの話に戻りますが、自分の吐いた言葉にはどこまで責任を持つべきでしょうか。
私は、言葉の責任とは「発した内容について言及されたとこ、逃げずに応じること」だと思っています。そう思っていたからこそ、(そして、話が通じると思ったからこそ)F外から話しかけたのですが、それに対して侮辱的なエアリプしかもらえませんでした。

当該人物は、強い言葉で他者を非難しておきながら、いざ自身が問われる側になった途端に対話もせずに攻撃的な言葉を向けてブロックしてきました。この態度は無責任ではないでしょうか。
また、あたかも自分は変な人に絡まれた被害者だという態度でフォロワーに喧伝するのは、恥ずかしい行いではないでしょうか。

……と、半年掛けて自分が抱いていた不満を言語化できたので、この日記を書きました。どうにかしてこの質問を読んで貰って、何かしら反応がもらえたら本当にうれしいです。
もし「あれは冗談だった」と言ってもらえれば、それだけで私は救われます。そのときは「無責任なことばを吐くようなひとは現世においてあらゆる創作や批評を自重されたほうがいい五感のレベルだよ」と同じレベルまで堕ちた返事をして、それで笑って終わりにしたいです。

余談

ユーフォのことを考えるとどうしてもこの件が頭をよぎってしまい、作品を楽しむのも二次創作をするのもできなくなってしまいました。
それに、イベント垢から迷惑人物として注意喚起をされたことにより、多くの人同じ界隈のから白い目で見られる可能性があると考えると、今後オンリーイベントなどにも出るのが苦痛に感じています。
そんな状況なので、映画や新刊が出て盛り上がっているところではありますが、だからこそタイムラインに顔を出しづらく、しばらくはTLを見ないで一方的にツイートだけして平穏を保っていこうと思います。別に作品が嫌いになったわけじゃないけれど、このままでいたら嫌いになりかねないので、自衛のためとなります。

以上、お気持ちと近況報告でした。

天幕のジャードゥーガル主題歌『Stella』歌詞解釈に関する覚え書き

フルで聴いて以来頭から離れなくて、言葉にしておきたかったので、思ったことを書き残しておきます。
なお、この記事はアニメ『天幕のジャードゥーガル』の物語と重ねた上での歌詞解釈です。作品のネタバレを含みます。

怒りという感情

歌詞の中のどこにも書かれていないのに、(たぶん)作品を知らなくても、歌に秘められた感情は「怒り」だと想像できるのがすごい。
失ったものへの悲しみ。奪われたことへの戸惑い。取り戻せなかった自分への悔しさ。それでも前に進まなければならない覚悟。
この曲では、そういった感情が交じり合って、怒りが生まれるまでの軌跡が描かれているように感じました。

答えの出ない問いを何度も何度も繰り返し、心の奥にある怒りを再燃させていく。本当に深い怒りとは、外に向かって叫ぶことではない。
何度も自分に問いかけ、何度も過去を思い返し、それでも消えないものを見つめ続けること。忘れたいほど苦しい。でも忘れることは許せない。
その矛盾を抱え続けることこそが、この曲で表現されている「怒り」なのではないかと思いました。

忘却という救い

「忘れていたなんて そんなわけ」という歌詞の一節について。
この後に続くであろう「ない」を言い切らないことの意味を考えた。二つの意味があると考えました。

ひとつは、作中で何度も訪れる「もう復讐なんていいじゃないか」という迷い。
時が経つにつれ、あるいは穏やかな時間も訪れて、暗い気持ちを忘れる瞬間が何度も描かれます。しかし、それでも彼女は平穏を振り切って復讐を思い出そうとします。そんな意思が見え隠れしているのではないでしょうか。

もうひとつは、忘れてしまうことの残酷さ。
自分の生きる原動力でもある感情とその根源を、一瞬とはいえ忘れてしまう自分への情けなさ。
『想い出がまだ煌めいている』ということは、それがまだ美しいものとして彼女の中に残っているということ。煌めきが消えてくれれば楽になれるのに、消えないから苦しい。そんな複雑な感情がこの一節に凝縮されているように私は思いました。

 反復と反転

「弱かったから」という歌詞が何度も出てきます。
曲の冒頭から中盤までは、「この世界は弱くて未来は脆くて、だから壊れるのは仕方ない」という諦めに近いニュアンスで語られています。
ひとりの人間ができることなどたかが知れている。そう思うのが当たり前で、それはある種の救いですります。
でも、最後の最後で、主語が変わります。

「私が弱かったから 壊されたんだ」

世界のせいにできたはずの痛みを、自分の責任として引き受けてしまう。なまじ知恵と知識があって、何かを成せるだけの力があったせいで、諦観が自責の念に変わってしまう。

そして、自責で終わることを許さず「次は壊されないだけの力を持てばいい」という結論を自分の中で導いてしまう。
逃げ出す弱さを使いこなせず、すべてを背負い込んで破滅の未来に向かっていく。その結果さえ当然の罰と信じているから止まれない。
「私が弱かったから」という言葉は、自分を責める言葉であると同時に、「もっと強くならなければならない」と自分に課してしまう呪いの言葉でもあります。悲しい。

問い続けること

この歌の一番好きなところ。

「間違ってない? もしかしてもう初めから?」

歌詞の中で、主体となる存在は強い意志を持ちながら、自らの正義(あるいは悪)を疑う気持ちを失っていません。
この問いは、「今の自分」を疑っているだけではなく、復讐を決意したこと自体が間違いだったのではないか、という自分の物語の起点すら疑ってます。
自分の存在理由を否定したら生きては行けない。でも知恵があるから問わずにはいられない。
「自分は正しい」と信じ切ることができないからこそ生まれる苦しみがあります。だから、己の正しさを疑い続ける人間ほど、自分自身を傷つけてしまうのではないでしょうか。
この曲を聴くたびに痛みを覚えるのは、この高潔な心によるものだと感じてなりません。

さいごに

今までセカオワの曲をまったく聴いたことがなかったのですが、作品を読み解いてここまで深く潜れる歌詞や、暗さと疾走感を両立させる曲、とても好きになりました。本作を通じて知ることができて幸いでした。

260610の日記

以下、日記です。

先日、ある企業商品に関する投稿をきっかけとして、SNS上でやり取りが発生しました。
その過程で、私自身、同じ内容の質問を繰り返してしまったことがありました。
結果として相手方に負担や不快感を与えた可能性があることについては、反省しております。

一方で、やり取りの中で私に向けられた発言の中には、私自身にとって強い侮辱や人格否定として受け取らざるを得ないものもありました。そのため大きな精神的負担を感じ、本件について弁護士に相談してしました。

相談の中では、相手方の発言について法的な観点から検討する余地があること、また実際に権利救済を求める場合には相応の費用や時間を要することについて説明を受けました。

そのうえで、私自身の状況や費用面等を総合的に考慮した結果、法的措置は取らず、本件についてはここで区切りとすることにいたしました。

私は、自分の行動について反省すべき点は反省したいと考えています。
同時に、意見の対立があったとしても、相手の人格を傷つけるような表現は避けられるべきであり、そのようなやり取りが少しでも減ることを願っています。

この一件により、当面の間は該当ジャンルにおける創作活動その他は行わないことになりそうです。
どなたかに何か言われたからとかではなく、私自身、このジャンルの中で自分がどのように見られているのかを過度に意識するようになり、以前と同じような気持ちで発信するのが難しくなったためです。活動を楽しみにしてくださっていた方々には申し訳なく思っております。

今後については、自分なりに気持ちを整理しながら、別の形で表現活動を続けていければと考えています。別に自粛をするわけではないですし、他ジャンルはイベントに申し込んでいるので黙々と執筆は続けております。
また、いい機会なので過去作のweb再録などやっていこうと思って準備も進めています。

最後になりますが、本件について私から新たな発信を行う予定はありません。

以上、
日記でした。

Archive

カテゴリー

ページ上部へ戻る