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ユーフォ3期における「くみまゆ」問題について

※この記事には、ユーフォ3期アニメ8話まで、および原作最終章のネタバレが含まれます。

「北宇治高校吹奏楽部では、人間関係を切り離した人選を受け入れることができるか?」
という未解決の命題があります。

第三楽章(2年生編)では、夏紀先輩と久石奏が揉めに揉めた一件では、久美子と夏紀の説得により一応の納得をした久石ですが、結果的に夏紀・奏ともにコンクールメンバーに選ばれたため、夏紀が落ちて奏が受かっていたらどうなっていたのか?という疑問は残ったまま終わりました。まあ実際のことろ、優子部長と夏紀よる支援があれば風通しのよい空気を醸成することはできただろうなと思います。

では、最終楽章(=アニメ3期・3年生編)ではどうか。
『自分が受かったら周りの空気が悪くなる』と危惧する黒江真由と、『そんなことはない・大丈夫』と反論する久美子との溝は時を経るにつれ深いものになっていきます。
本当に大丈夫なのか?という疑問について、私見として回答を書いてしまうと、大丈夫ではないと思います。
「なつかな」の時も、その前年のトランペット対決のときも、幹部組の尽力によって瓦解は防がれていますが、くみまゆの件に限っていえば久美子は何もできません。なぜなら、久美子の本心は全国金よりれーなとのソリが大切で、しかもそれを公言できない立場にあるからです。
そうした自己矛盾を抱えたまま、うわべだけの言葉で『大丈夫』と言い続ける久美子と、猜疑心を膨らませていく真由という構図、それが最終楽章を通して描かれる問題です。

以下、二人の立場や意志について解説していきたいと思います。

#比較

まず、久美子と真由の思惑について確認しておきます。
項目を3点に絞って比較すると、以下のようになります。

<大会に向けた目的>
久美子:全国金
真由  :楽しく吹ければ良い(できるなら、上手い人達と吹きたい)

<内心>
久美子:れーなとソリを吹きたい。辞退されず、オーディションで勝ち取りたい(=特別な存在として在るためにはそれが必要)
真由  :自分が選ばれて空気が悪くなるのはいや(=楽しく吹けなくなる)

久美子の思惑について端的に言うと、表向きは全国金を目指すといいながら内心では個人のエゴを優先し、その上その事実から目を逸らしています。対して真由は、楽しく吹ければ結果はどうでもいい。楽しく吹けなくなるから自分は辞退したい、という想いを一貫しています。

久美子は真由に対して「全国金のため、オーディションに参加してほしい」、「全力を尽くしてくれたら私もうれしい」と口にしますが、真由にはそれが信じられません。低音パートの中でも聞こえてくる、くみれい当確の空気、それを後押すように何度も皮肉を口にする久石奏の活躍によって、久美子と真由の信頼関係は築かれることなく時が過ぎていきます。
合理的に考えれば、オーディションの結果を抜きにして久美子が吹けば空気の悪化も防げて一石二鳥のはずなのに、「オーディションを経ずに選ばれたくない」というエゴが邪魔をして、真由の提案に対して向き合うことができません。
この自己矛盾は、8話のあとに某氏によって指摘されてさえ向き合うことなく、全国大会が始まり終わってしまいました。

 

#くみまゆ辞退バトル

全5回(原作準拠)行われる辞退宣言それぞれを見ていきます。

①オーディション形式発表直後(6月)
  • 「そのオーディションって、辞退とかできないのかな」
  • 清良ではオーディションを辞退しようと思ったことは一度もない
  • 清良では、みんな喜んだし
  • 「北宇治でも同じだよ」「本当に?」
  • 辞退して喜ぶ人間がいると思われるのは不愉快

すでに疑心暗鬼になっている真由と、北宇治なら大丈夫と言い切る久美子。
ポイントは、「清良だったら辞退なんてしない」、つまり北宇治での自分は外様だと認識している点です。

②府大会オーディション前日(6月)
  • 「やっぱり私、辞退しようか?」
  • 「私のせいで二人のうちどちらかが落ちたら申し訳ないというか……」

どちらか、とはいいつつ、直前の文脈から久石奏が落ちることを危惧しているのが分かります。
暗に自分の方が上手いと言っているんですが、本人には悪意がないのがひどい。
他の場面でも時折あるんですが、真由ってデリカシーのない発言がちらほら見えて、それが久美子との確執に一役買ってるんですよね。

③関西大会オーディション直前、合宿所の風呂にて(8月)
  • 「今日のソリのオーディション、私、辞退しようか」
  • 「全力を尽くしてくれた方が北宇治のためになるし、私だってうれしい」

真由が久美子の言葉を信じられてないのは以前からのことですが、久美子の方も自分の気持ちを客観視できていない。それが真由に見透かされるという悪循環。
その後の発表時、真由がソリストに選ばれたときのどよめきは、原作よりアニメの方がしっかりと描かれていて残酷でした。
「Aメンバー入りを逃した部員の中で、久美子を応援するのがブームになって」いるという報告もあり、久美子のいう『北宇治は大丈夫』が空しく響いていきます。

④文化祭(9月)
  • 「私、やっぱり次のオーディションは辞退した方がいいと思って
  • 「真由ちゃんは吹きたくないの? 自分の気持ちに正直になっていいんだよ?」
  • 「私はいつも正直なんだけどな」

もう決定的にすれ違っていて、笑うしかありません。
最初からずっと吹きたくないと言っている真由と、その言葉の奥にある気持ちを考えられない久美子。
1年前の夏紀と奏の件で、「北宇治は大丈夫」と盲信しているのか、自分のことでいっぱいで視野狭窄になっているのか、あるいは両方か。

⑤全国オーディション前日(9月)
  • 「今度のオーディション、私ね、やっぱりソリを辞退したほうがいいんじゃないかって思って
  • 「どうしてそんなこと言うの、ここまで来て」
  • 「ここまでっていうか、私、ずっと言ってきたけどなぁ」

この直後、久美子はここにきてようやく真由の真意(吹かなくていい・空気の方が重要)を知りますが、それを『北宇治のあり方とあまりにかけ離れている』と拒絶的に受け取ります。
逆に真由は「私がソロを吹くの、本当は意やじゃなかった?」と久美子の真意を問いますが、部長としての立場が本音を口にするのを邪魔してしまいます。

ここまで5回にわたる辞退宣言を振り返ってみると、久美子は部長としての自分を盾にして真意を隠し、自分の脅威である真由の気持ちを推し量ろうとするのを避けているように見えます。
かといって真由に問題がないかといえばそうではなく、頑なに久美子を通して説得しようとしているのは意地っ張りのように見えますし、伝え方にしても同じことのくりかえしでコミュニケーションが取れているようには思えません。久美子を飛び越えて滝先生に直談判してもよかったし、穏健派の副部長を使う手もなくはありません。

どっちが悪いというわけでなく、どっちも人間として未熟なところがあって、それだけじゃないかと思います。陳腐な結論ですが。

#最後に:じゃあどうすればよかったのか

「北宇治高校吹奏楽部では、人間関係を切り離した人選を受け入れることができるか?」
という最初の命題に戻りますが、もし二人が本音を吐露しあうことが出来ていれば、限りなくベストに近いエンドに迎えるのではないかと思います。
例えば久美子が、『負けたくないし、負けたら空気が悪くなるかも知れないけど戦って』と少年漫画のようにライバル宣言したり、真由が『私が勝ったら一番に喜んで』と久美子と約束できれば、多少は違った展開になるかなと妄想しましたが、これはあくまで妄想です。
こういった「たられば」の話はいくらでも出来てしまいますし、そういうのは二次創作でやればいいと思います。
(AD:唐突な宣伝ですが、じゃあ真由がどう立ち回ればよかったのか・どうして真由はあんな思考を持つに至ったのかを考えた二次創作の小説(R18)を書きました。6/21に向けてメロンブックスで予約受付中(※R18注意)ですので、人を選ぶ本ですけど、よかったら。)

原作では最後まで和解できなかったくみまゆですが、アニメ時空ではなんと口論をするまで衝突が始まりました。もしかしたら、原作では見ることのできなかったTrueEndに辿り着けるのではないかと、そればかりを期待しています。

とっちらかってしまいましたが、くみまゆについて言いたいことは以上です。

 

#蛇足:久石奏について

石奏についてはいいたいことがたくさなります。
好きなキャラのことを悪くはいいたくないのですが、原作・アニメともに久石奏、ダメダメです。
前作(2年生編)では夏紀先輩による優しさを知り、中学生時代には悲しみを知っている久石は、おそらく誰よりも黒江真由に寄り添えるはずの人間でした。
それなのにこの子ときたら久美子の腰巾着に収まるだけでなく、久美子が選ばれるのが当然とばかりに黒江を挑発しつづけるという悪漢ぶり。夏紀先輩も川の影で泣いている。

しかしまあ、久石の知性がナーフされなかったらくみまゆの確執はこんなにこじれることなく、ギスギス吹奏楽部にならなくなってしまうのも分かります。作劇の都合でアホの子にされてしまった石奏を不憫には思いますが、それでもやっぱり格好良い久石奏が見たかったです。

 

画像の無断転載(コラ作成/画像レス/RT)してる人間は著作権を語るな

……とは言わないので、タイトルだけ読んで脊髄反射しないでください。

以下本旨。

無自覚な無断転載

自分の観測範囲では、「盗作」つまり人様の作品を自分の物だと偽る行為に対しては厳しく糾弾する人が多い一方で、「(無断)転載」する人に対しては甘いというか、日常的に無断転載をしている人が多いな、と思えるこの頃です。
2chやふたば、最近ではLineのスタンプ文化の隆盛もあって、転載という行為に対して罪の意識がない、あるいは悪いことだと思っていない人が増えているのではないか、そう思ってこんな記事を書いてみた次第です。

それは引用ではない

著作権法には「引用」という、人様の著作物を許可なく持ち出してよい権利が存在します。
しかし、周りをみているとどうやら「引用」を都合良く解釈し、何をしてもよいと考えている人が少なくないのでは、と思えてなりません。引用というのは、以下の条件(法律用語では「要件」と言います)を満たしたときにのみ認められるもので、無条件に人の著作物を使って良い権利ではないのです。

知財法における引用の定義

前提
・引用に許可は不要
・引用されることを拒否することはできない
 →たまに、「無断引用禁止」と書いてある文をみることがありますが、引用は禁止することができません。主張できるのは「無断転載禁止」です。

要件1.出典が明記されていること
A:「著者名」、「書名(巻数)」、「ページ数」、「発行年月日」
あるいは
B:「URL」「引用した日付」

(※判例から導き出された要件なので、正確な定義は存在しません)

要件2.引用する必要性があること
これは一口に判定しがたいので、考えられる一例を挙げてみます。

○:キャラクターイラストの表情について評論する場合
○:イラストのグラデーションについて言及する場合
×:感動したのでシェアしたい場合
×:イラストの特定の部分が好みだったので紹介したい場合

要件3.自説が「主」、引用部分が「従」となっていること
引用は、自分の考えを補完するためにのみ行えるので、引用部分の方がメインコンテンツになってはいけないということです。
「ワロタ」の一言だけ添えても引用にはなりません。
また、例えば先述の例ですが、キャラクターの表情を論ずるために漫画の単行本1冊分をまるごと引用したらアウト、といった感じです。

要件4.引用部分が明確であること(枠で囲ったり強調したりしなければならない)
要件5.公表されたものであること(発売前の早売り雑誌を引用してはいけません)

以下、
細かい要件省略。

……ざっくばらんに書きましたが、本当はもう少し厳格なルールがあります。
詳しくは以下の記事が詳しいので、参考までに。

転載、引用、盗用 区別のつかない人が意外に多い(最終防衛ライン3)

引用の要件については、理解していないニュースサイトが多いのも誤解を広める原因になっているような気がします。
まとめサイトが書いている「引用」は、ほぼ「転載」の誤用です。
中の人に直接言えるなら言って回りたいくらいです。

とにかく、
「引用」を免罪符に好き勝手やってる人、「引用」の定義を誤解していた人がいたら認識を改めてもらえれば幸いです。

転載している人は転載されてもいいと思ってる?

最後に。
これは、主にクリエイター(同人作家・web発表者を含む)に問いたいのですが
(あるいは、普段は著作権に厳しいはてな民が大喜利Togetterをブクマしてる場合も……)

Twitter上でコラ画像を作ったり、画像大喜利に参加したり、画像リプライに興じたりしている作家を多く見かけます。
そういう方々は、自分の作品が転載されても怒らないのでしょうか。覚悟の上でやっているならいいんですが、もしそうでないなら、無断転載して遊ぶのは止めた方がいいんじゃないかなーと思う次第です。
こんなに長ったらしく前置きしてまで言うのは、直接言うと角が立つというのもありますが、自分が好きな作家の人達が無自覚に悪いことしているのを見ているのがつらいからであって、糾弾したり軽蔑したりする気持ちはまったくありません。
もしよければ、考えを改めるきっかけになってもらえればうれしいです。

コスプレと私服の境界

 先日、ふとしたきっかけで、コスプレと私服の境界はどこにあるんだろうと考える機会があったので、思ったことをつらつらと書いてみようと思う。

 きっかけと言うのは、『私服に見えなくもないコス衣装を着て外に出て外に出ている人が、「コス衣装を着ているときにTVで紹介されたい!(妙訳)」』と言っていて(後に冗談と判明)、そのときにふいに、それはあまりよろしくないのでは……でも何が問題なのか分からないなー、と考えたことです。

浮かんだ疑問はこの二つ。

1. 私服とコスプレの境界はどこにあるのか
2. 私服に見えなくもないコス衣装で外に出ることの是非

 1については、実に難しい。
 コスに見える私服もあれば、その逆もあります。
 また、希有な例ではありますが、しまむら妖夢というものがあります。詳しくはリンク先を読んでもらいたいのですが、東方Projectに登場するキャラクタの服そっくりの服が、コスプレ要素が皆無であるしまむらから発売されたのです。
 この服がコスプレに見えるかどうかはさておき、一般向けの服として販売されている服に変わりはありません。
 こういいった事例を知ったこともあり、1つめの疑問は保留することにしました。

 次いで2について。
「知っている人が見ればコスに見えるけど、知らない人からしたら私服にも見えない服」で外に出ることは許されるのか。
 僕は、今回の件があるまでは『10人に1人でもコスに見えるような服なら着て歩くべきではない』と言ったことを、なんとなく思っていました。しかし、上の疑問をTwitterで呟いてみたところ、何人の方からか多様な意見を頂くことができました。そんな中、ふいに妙案が浮かんだので起承転結の転を飛ばして、自分の中で出た結論だけ述べてみたいと思います(ここから本題)。

 それは、着ている本人が私服・コスどちらのつもりであろうとも、(あるいは、しまむら妖夢を何も知らない一般人が着ていたとしても)、その状態で何か問題を起こしてしまえば、ネットの大衆に対しては問答無用でコスプレと見なされてしまう可能性が高いということです。

 そもそも、外でコスプレをして何が問題なのかというと、それは本人だけではなくジャンル、延いてはオタ界隈全体の風当たりに影響を及ぼす可能性をはらんでいることです。

 巷では「学校の制服を着ている間は学校の看板を背負ってるんだから行動には気をつけろ」と言うことが聞かれますが、まさにこれと同じで、コスプレをして何か問題を起こしたらみんなに迷惑がかかるのです。

 なので、最初の問題に戻りますが、二つの疑問についての答えとして、次の一文を答えとして叫んで締めたいと思います。

 コスプレと私服の境界は曖昧で線引きはできないけれど、コスプレもとい何かの作品に関係する服を着ている自覚があるならば、それを着ている間はいつも以上に問題起こさないように気をつけましょう!

どっとはらい。

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