251206

「偽史による町おこし」というテーマは面白い。

ひな祭り発祥地、福井県越前市か…歴史書「ホツマツタヱ」に原型儀式の記述(福井新聞)

ひな祭りの発祥の地は福井県越前市か―。縄文から弥生時代までの日本の国造りについて書かれた歴史書「ホツマツタヱ(秀真伝)」に、同市の日野山でひな祭りの原型の儀式が始まったと推測できる記述があるとして、郷土史を研究する同市北日野地区の「こしの歴史勉強会」が地域おこしに生かそうと活動している。歴史書は偽書との指摘もあるが、同会は「地域にとって魅力的な物語。伝承として生かしたい」と期待を込めて発信を目指す。

上記は、アカデミック的には歯牙にもかけられないほど信憑性の低い話である歴史書を元に、それでも現地の人達はゴリ押しで町おこしをしようとしてるという話です。どうしてそんなことが起きてしまうのか。その構造が面白いので、少し書いてみます。

偽書と町おこし ― 止まらない物語の消費

日本ではこれまで、歴史的な裏付けを欠いた文献や語りを「地域の歴史」として活用することで町おこしにつなげようとした例が繰り返し見られます。有名なところで「竹内文書」(富山県)、「東日流(つがる)外三郡誌」(青森県)、そして江戸しぐさといった「歴史的根拠が確認されていない、あるいは学術的に否定された内容が地域史として流通した事例」が存在します。いずれも文献批判に耐えうる成立年代・史料照合の検証で問題が指摘されていることが専門研究では共通しています。

では、なぜ「学術的に確定されていない、あるいは否定されている情報」を基盤に、地域が町おこしを進めてしまうのか。

学者の承認欲求と「地域アイデンティティ」の結びつき

大学で専門を学んでいない、いわゆる在野の研究者の中には、「研究者が見落としている真実を自分が見つけた」と考える人もいます。そうした人にとって、自分の主張が注目されることは、大きな喜びになります。そこに「地域の独自性や観光資源を求める町民側の欲求」が重なると、その歴史が本当かどうかは関係がなくなってきます。更に、外からの批判に対して「わたしたちの真実を潰そうとしている」・「町の発展を邪魔されている」として内側で結束を強め、反論や批判が聞き入れられなくなる構造が出来上がります。
また、町おこしとしてイベントをしたりハコ物を立てたりとお金を使ってしまうと、中止することは一層難しくなります。偉い人が絡んでいると面子もあったりして、何を言っても聞く耳を持たなくなります。

偽史が社会に残り続けるリスク

影響が町の中だけで済むならまだマシで、問題はそれが全国的に認知されてしまったときの社会的リスクです。有名な例として「江戸しぐさ」という全く荒唐無稽な文化が歴史の教科書に載ってしまったことは記憶に新しいと思います。歴史は「いつ」「だれが」「なぜ」その情報を残したのかを確認し、証拠と照らし合わせて考える学問です。それを無視して事実と混同してしまえば、将来の研究や教育に影響します。こうした失敗例を他山の石としてもらいたいのですが、先述の事情もあって一筋縄ではいきません。

今日の新聞記事「ひな祭り発祥地、福井県越前市か…『ホツマツタヱ』に原型儀式の記述」という報道に出てくる「ホツマツタヱ」も、成立の時期や内容などから、歴史の資料として信頼できる根拠は確認されていません。記事の中でも「偽書」とされることが紹介されています。この話がこれからどうなるのか、とても気になります。うまく止まってくれればと思いますが、難しいだろうなと半ば諦めの思いで記事を読み、ささやかな抵抗としてこんなことを書いてみました。

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