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超かぐや姫!感想

今更の感想。

予告が出たときから楽しみにしていてネトフリで初日に鑑賞してガイドブックも買ったし映画館にも見に行った人間の言うことなので多少の色眼鏡はご容赦ください。

# 振り回されるのが楽しい

突然降ってきて育ってはしゃいで落ち着く間もなく彩葉を振り回しているかぐやが楽しすぎて好き。
かぐや、動きすべてがいちいち楽しくて画面に映っているだけで元気が出る。
こんどHoloModelsが出るというのでもしかしたら初めて買っちゃうかもしれない。それくらい全ての動作が好き。

#月と海

「かぐや姫」というわりに、月じゃなく海寄りのモチーフがたくさん出てきたような気がする。
ヤチヨは見るからに乙姫だし手持ちはメンダコだしツクヨミは名前のわりにどちらかといえば竜宮城っぽさを感じたし、ついでにかぐやの境遇は浦島某のそれである。
このあたり教養がないのでどうしてそうなってるのか知りたい。調べます。調べるのは大好きです。

#八千年の航路

かぐやが過去から現在までに出会ってきた人達との挿話、あれ全部すごくよかったですよね。
ネトフリの字幕を使うと名前が出ると聞いて見直したんですが、出てきた順に
神功皇后、権中納言敦忠、淀殿、吉原の花魁、明治時代の文豪、花売りの少女、CIAの男性となっていました。
この人達の話だけで映画作れそうなくらい想像力をかき立てられるくらい好きなんですが、
それはFUSHIが彼らと出会って縁を結んでも何も出来ないまま別れを告げてきたこととセットになっていて、自分のエゴを貫くために何を選んできたのかの歴史が積み重なってるところが愛おしくてたまらんのです。
ヤチヨの笑顔に寂しさが宿っている背景をこんなに見せられたら、笑ってるところみるだけで泣いちゃうようになってしまいました。
このシーンに入る前、「ヤチヨは さっき久しぶりに本当にうれしそうだったんだ」って台詞があるんですけどね、その笑顔が彩葉との再会のときでもなくライブのときでもなく、ここなんだなと思うといろいろ感じ入るものがあります。

#rayのMV①

実質本編ですよこれ。ネタではなく。

「月に帰ってめでたしめでたし」と竹取物語の〆を彩葉が語っていましたが、それは正しくありません。
現存する竹取物語のラストは、姫が戻ったあとに残された側の話がエピローグとして描かれています。

かの奉れる不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には、調の岩笠といふ人を召して、駿河の國にあなる山の頂に持て行くべきよし仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文不死の藥の壺竝べて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士ども數多具して山へ登りけるよりなむ、その山をばふじの山とは名づけける。その煙、未だ雲の中へ立ち昇るとぞいひ傳へたる。
https://jti.lib.virginia.edu/japanese/taketori/AnoTake.html

姫から贈られた不死の薬、これを帝は「調岩笠(つきのいはかさ)」に命じて駿河の国にある山の頂きで燃やさせます。
これがrayのMV冒頭のシーンと繋がっていることは疑いようもなく、「不死の薬を捨てる」=「かぐやのバックアップ機構であるタケノコを捨てることで、代わりの効かない唯一の個体となる」ことを示しています。
MV(2:10)で彩葉が『私はかぐやを本当の意味で人間に』とメールを書いているシーンがさし込まれています。その直前の文章には『私の真意を率直に述べさせていただ(※画面が切れてここまでしか読めない)』とあることから、タケノコの廃棄について独断ではなく研究室(?)の合意を取ろうとしていることが読み解けます。

こんな重要なシーンをどうして本編に入れなかったのか!
作品のテーマのひとつに「ハッピーエンドとは何か」があると思っているんですが、その視点から見て、ここまで入れるかどうかの葛藤があったのかもしれませんし、ラストの展開としてすっきりしないという判断だったのかもしれません。
ただ、やはりテーマ的に考えてこのMVも本編の一部であるよなと強く思ってしまいます。

Tipsですが、山下清悟監督のMVへのコメントに「※MVのとあるシーンの補足ですが専門知識を持った彩葉が許可を取り近未来技術で岩盤を溶解化して掘っているので現代の皆さんは絶対に真似しちゃ駄目ですよ!」とあります。コンプライアンスの徹底された作品。

#ハッピーエンドとは何か

作品のテーマのひとつに「ハッピーエンドとは何か」があると勝手に信じ込んでいるんですが、じゃあハッピーエンドの定義って何だという話です。
人間、生きていれば山あり谷ありですから、どこかで切り取るか、あるいは命が潰える瞬間に判断するかしかないと思います。
本作の後半イベントを並べると、

①アパートでタケノコと再会、真実を知ってかぐヤチヨと再会
②研究者の道を進み、人間としての再会(本編エンド)
③タケノコ廃棄(ray MV)

といった感じですが、なんなら①の時点で終わってもわりかしハッピーなのでは?とも考えられます。
ただ、それを本作は否定していて、①では欠けているものがあります。それは、「同じ時間を生きられる」という条件です。
感情的には再会を果たしていますが、片や人間、かたや永遠の命を持つ存在で、その非対称性は悲しみをはらんでいることが、かぐやの出会ってきた人達との思い出としてすでに語られています。だからこそ②に進んで「終わりを共有できる存在」になることが、本作におけるハッピーエンドの条件なのだと考えました。
捻くれた視点から見ると「ふたりで永遠を生きればいいじゃん」とも考えましたが、そもそもかぐやが人間の人生に意味を見出したことから始まった作品としてそれはありえないでしょう。

よって、有限、かつ可能性が開かれた状態であればそれはいつでもハッピーエンドなんだよ!と個人的に結論づけて一旦この話を締めたいと思います。

#rayのMV②

再び話を戻しますが……
自分はrayという曲が好きで好きで、Bumpのライブにはじめて行ったのもこの曲ができた頃でした。
なもんで、前情報なしで鑑賞してエンディングに入った瞬間にイントロが流れてきたとき叫んじゃいました。
この曲は、明るい曲調と裏腹に喪失と再起を軽やかに歌っています。
では、その想いは作中の誰に重ねられるか。私は、ヤチヨだと思って聴いていました。

物語はハッピーエンドで終わり、かぐや(ヤチヨ)は不死の代わりに肉体を手に入れ、現実世界で生きていけるようになりました。
作中ラストの描写では、いろPとかぐやが並んだ写真がたくさん出てきます。復活ライブも二人でやっているように見えました。
そんなところに、まさかの三人ライブシーンですよ。
いやもちろん以前の時空という可能性もなくはないですけど、このMVは全体的に未来時空の話を描いてるので、それはないかなと思います。

あのヤチヨは誰なのか。
魂はかぐやに移っているのは確かとして、ならばアバターとしてのNPC的存在かというと、本作でそんなことするとは思えません。
であれば、(これは直感的推論であり根拠はまったくないのですが)あのヤチヨは、かぐやが人間になった瞬間に残った何かから生まれた、純粋な存在としてのヤチヨだったりしないかな、と思ってしまいました。ヤチヨを構成していたものの中で最も大切な「彩葉を好きな気持ち」をかぐやにあげて、ツクヨミを愛する存在としてのヤチヨがあの瞬間に生まれ、そして新しい関係を三人で築いていったならいいなと願望マシマシで思っちゃいました。そうであってくれ。

#統括

ノリと勢いでバッドエンドをハッピーエンドに変えてやったぜ!という意味での「超」が清清しい作品でした。
あえて語らない余白がたっぷり残っていたり、ツクヨミの世界観など、キャラクターの魅力以外にもたくさんの見所があって何度も何度も見返したくなる素晴らしい作品だと思います。
幸い、まだ劇場公開が続いたりクラファンその他の展開も多々ありそうですし、しばらくは楽しめそうです。2026年の初めから良い作品に出会えて幸いでした。

以上、感想まで。

 

 

余談

・チネチッタのLIVE ZOUNDで観てきました。
壁ドンとかアパートの生活音が後ろの方からリアルに聞こえてきてびっくりして面白かったです。

クラファン

「グッズ化してほしいな~」と思っていたヤチヨ神棚がここで出てしまった。しかも後日販売予定なしということで申し込んでしまいました。(まあマイナーチェンジして出すかもしれないけど後悔はしないのでOK)
ちょっと気になったのは、ここのプラットフォームって目標額の提示なしで達成率だけ提示してるけど景表法とか消費者契約法とかそこらへん問題ないんでしょうかね。門外漢なので見当外れなこと言ってるかもしれないし、入金してから言うなって話だけど少し気になったのでここに書いておく。

 

響け!ユーフォニアム短編集「みんなの話」感想(主に黒江真由関連)

※響け!ユーフォニアム短編集「みんなの話」(24年6月発売)のネタバレ全開です。
※本記事で扱うのは原作小説時空です。アニメの話はしませんので悪しからず。

夏コミの新刊でユーフォ新世代二次創作を書いていた関係上、一ヶ月近く読まずに封印してきた短編集をようやく読みました(隙あらば宣伝)

以下本文です。


↓本作では黒江真由の人物像について、国語の読解問題に使ってもいいくらいロジカルに書かれていました。
本編(=ユーフォ最終楽章)ではまったく語られなかった黒江の心情が語られているので、犯人視点のミステリィ小説を読んでいるような気分になりました。まさにユーフォ3期解答編。
ここでは、黒江の描写について詳しく解説しつつ感想を挟んでいきたいと思います。

Q1.黒江の目的は?

「同窓会に呼ばれること」
そのために知人との人間関係で波風を立てず、相手の希望に沿うことが黒江の目的であり、
そして、その目的を達成するために「賞味期限のない友人を作ること」が行動原理ということでした。

では、黄前久美子の「本気で勝負して」という希望がどうして叶えられなかったのかというと、
『本気で勝負したら自分が勝ってしまう可能性があり、勝ってしまうと波風が立つのは避けられない』というリスクがあってのことかなと推測しました。もし真由が、「勝負してもいいよ」と言いつつバレない程度の手加減をするような腹芸ができる人間だったら何の波乱も起きなかったでしょうね。

Q2.『賞味期限のない友人』はどうやって作るか?
黒江の行動原理である「波風を立てず」は、おそらく打率は低いと思われます。実際、さんざん尽くした瑠璃葉さんも期限切れになっていますし。
こういう人間のことを、某氏のことばを借りると
「気になって近づくくせに、傷つくのも傷つけるのも怖いから なあなあにして安全な場所から見守る」ひとなのかなって思いました。

これに対する久美子は、某氏の言葉をきっかけにしたかどうかはさておき、相手の懐に潜り込んで時に傷つきときに傷つけながらも多くの人と親交を深めていきます。この姿勢こそ、本作が表している『賞味期限のない友人』の作り方じゃないかなと思うのです。

これはただの持論ですが、
衝突や対立を経て相手を知り認め合う、この過程にこそ意味があって、そのあと結果として関係性が深まることはあってもそれを目的にしたらうまくいかなと思うんですよね。
黒江は相手を理解するために、言いたいことがあったら何でも言ってね、という台詞を度々使います。これは、黒江自身も本当のことを全部口にする性格であり、だからみんなもそうに違いない、という思想です。
相手が言ったことだけを信じる姿勢は、理解を深めることができません。いつまで経っても表層的なところしか分かり合えません。
奏が言及していたのもこれで、絶対に相手の裏を読もうとしない、「読めない」のではなく「読まない」というのは頑固で分からず屋の考えです。
本作では、その思想が生まれた理由として幼少期に親から教えられたからと書かれていますが、そのあとの人格形成において転勤族だったことや欲しいものは何でも与えられてきたという環境も関係しているはずです。

転勤族なので、サークルクラッシャーでコミュニティを崩壊させてもその後の経過を見ずに済むというのは割とひどい話ですが、本人にしても反省の機会がなくなるという意味でよくなかったんじゃないかなと思います。

Q3.久石奏は何に負けたのか?

黒江のことを勝手にラスボス扱いして一人相撲して勝手に敗北宣言しただけでは……?
というのはあまりにも可哀想なのでちゃんと考えてみます。

「(黒江のことを)理解したくない」というのが第一印象だった久石奏。
これ自体は、黒江の思考が読めずにこわいというよりは久美子の地位を揺るがす存在だと認めなくないという意味にも取れるので保留します。

黒江を攻略しようとする久石ですが、彼女の対人戦略って基本的に相手を怒らせたり慌てさせたりして自滅させるパターンがほとんどなんですよね。
怒らせることで本音を暴き、優位に立つ。
それなのに、どれだけ挑発してもなびかない黒江は天敵であり、それどころか久石のイヤミを本音として信じようとする(前段参照)黒江は、相性が最悪です。

久石VS黒江の戦いとは、そういう嘘と本音のぶつかりあいという構造になっていて、だから『黒江が言っていることを本音と認めざるをえない』ということが久石の敗北であり『完敗です』に繋がってるんじゃないかと考えました。

まあ、どっちみち久石の一人相撲であることに変わりはないのですが……

Q4.黒江真由は、北宇治で無期限の友人を作れるのか?

先程、一生モノの友人を作るためには青春バトルが必要(妙訳)と言いましたが、例外はあります。素の真由と波長があう人間は過去の学校でもいたみたいですし、つばめちゃんみたいな子とは程よくやっていけるでしょう。
また、結果的に一方的敗北を知った久石も、捻くれた舎弟ポジションとして続いていく可能性が出てきました。奏ちゃんって年上の先輩に対してちょろくないですか?夏紀先輩が振り向いてくれないからってまゆかなですか?という気持ちがなくもないですが、この二人は上手くいけば仲の良い関係が築けそうなので、もうちょっと先の時空の話が読みたいです。

Q5.黒江真由とは何だったのか?

→一言で言うと、田中あすかと出会わなかった久美子なんじゃないかと思いました。
真由自身、久美子のカウンターとして、あるいは越えるべき壁としての田中あすか要素がふんだんに盛り込まれたキャラクターです。しかし、開けてみたら全然の別物で、むしろ久美子よりも足りないものが多い子だと気付きました。

真由がほしいもの、実はほとんど久美子が持っているんですよね。
一生ものの友人達も、その他諸々も。
本当は久美子の方が満たされているのに、久美子自身は気付いていない。
かくいう自分も、何度も読んで考えてようやく気付いたくらいです。
それが少し悲しかったです。

黒江真由について言いたいのはこれくらいです。

 

以下は各話についての蛇足感想文です。

 

■1/◯の中身はなんだろな
黒江さんが持ってきたマシュマロとハチミツにそこはかとないあざとさを感じる。

>奏ちゃんのクリームチーズのたこ焼き、はちみつとすっごく合うね
あざとい

■2/気がある気がする
>秀一から見ても、黒江は好感の持てる人間だった
しゅうまゆポイント入りました。

ところで、博多通りもんをくれたパーカスのOBってナックル先輩?他に男子先輩が思い浮かばないけど原作時空のキャラクター把握してないのでわからないです

■3/ランチタイムにて
・黄檗にあるパン屋(たま木亭)大人気ですよね。
・黒江さんのお弁当、おかず4品はすごいなと弁当ユーザーの感想。
・写真キャンセラー真由を撮影する緑先輩さすがです

■4/四人は幼馴染
ユーフォ新展開、久石世代の話はもちろん見たいのですが、物語として眺めたいという意味ではこっちの四人が気になるんですよね。

■幕間・アジタート
小日向部長候補に関する言及ありがたい。覚醒小日向のスパルタDMが見たかった。

>真由は当然のように奏の隣に腰かけた
これはちかおくんも勘違いするわ
(野郎相手にはやってないだろうけど度合いは違えど同じようなことしてるよね)

>奏ちゃんさ、私のことどう思ってる?
これはちかおくんも勘違いするわ

>みんなと仲良くするのが夢物語だと(知っている)
原作時空の黒江、転勤族のために価値観が醸成されてこなかった歪みがここで言語化されました。

■5/ドライブ
残り100ページくらいこの話が続くと思ってたのに予告編だけで終わったみたいな物足りなさ。
むしろTLの共同幻想で無限に読んだ既視感しかない。
とりあえず今年の夏は和歌山に向かうふぉろわーが多そう。

■6/彼岸花の亡霊
いなくなった人の声が徐々に再現できなくなるのと、悲しみが過去になるのは同じなんじゃないかと思ってます。
脳内でこだまする声って不思議ですよね。音がないのに脳が記憶から再現しようとする仕組み、不思議です。

■7/賞味期限が切れている
黒江真由解答編。
悪意の届かない人間はこわいね、という話。

>あけおめのメッセージが届かなくなると、真由はいつも切なくなる
これ、黒江さん自分から送ってませんね?そういうとこやぞ。

人間関係をリセットして進んできたせいで、サークラしたあとの泥沼を見ずに去っているという最悪のムーブ。

>真由は自分の行動が正しかったと確信した
あーあ。

■幕間・グラーヴェ
行動原理を理解・納得したことで、自分の感情を片付けて比例を詫びる一連の流れ、やや儀礼的とはいえこういうことができるのが久石の魅力であり、幹部に推される説得力になっているのでしっかり描いてもらえたのはうれしかったです。ただ個人的には最後までイヤミを込めて”黒江先輩”呼びしてお互いきゃっきゃするくらいの距離感でも良かったかなと思いますがまあ個人の感想です。

しかしここにきて黒江真由の欲しかった一生ものの友人枠に久石が収まるとは思わなんだよ。
真由かな、あります。

■8/大人の肴
これ、よくある円盤特典に収録されるドラマCDだ。聞きたい。

■9/新・幹部役職会議
副部長とDMは当日のドッキリじゃないんですか?

ドラムメジャー、どうにかして小日向夢が抜擢されないかなと期待していたんですが残念。
やや妄想込みですが、高坂の下で鍛えられてスパルタ2世になった小日向さんが見てみたかったです。
ユーフォとペットという伝統ここに潰える。
美玲さんは、説明されていたとおり実力やカリスマ、舐められない風格など充分な能力があるので納得の人選でした。

 

(以下、保存できずに消えてしまったので気が向いたら追記します……ぐだぐだ……)

「響け!ユーフォニアム」アニメ3期13話感想、および過去作における改変について

9年近く追い続けた作品がひとつの終わりを迎えた。
おそらくは十全ではない体制の中、途切れながらも最後まで制作してもらえたことをありがたく思う。不満や要望はあれど、まずは敬意をもって感謝を伝えたい。

#3期の総括
終わってみると、3期はこれまでのリフレインが多用されたという印象が強い。
公開オーディションがその最たるものであり、他には大吉山のくみれい、大好きのハグ、死ぬほどくやしい気持ち等々である。
久美子の成長を描くことに重きを置いたという監督のインタビューを鑑みると、過去との比較は成長を分かりやすく伝える手段であり得心がいく。

#13話における改変

久美子の成長にフォーカスを当てた一方で、割をくってしまった要素も多々存在する。この記事ではその是非は問わないが、何がどのように変わったのかを書いておきたいと思う。原作小説では、大会が終わった直後(2年生編にて、部長に専念したいからという理由で別れた)久美子と秀一の復縁シーンで幕を下ろす。
一方で、アニメではこのシーンは影も形もなくカットされ、かろうじて二人の関係を示すイタリアンホワイトのヘアピンが黄前先生の歩くシーンで見える程度しかない。この改変は、3期より戻ること2作、2年生編を描いた劇場版『誓いのフィナーレ』(以後、『誓』)に端を発する。2年生編の原作では、これまた久美子と秀一の二人によってラストシーンが描かれる。
『部長として使命された久美子が、その職務に専念するため別れを切り出す』という、責任の重さと覚悟を感じさせるシーンで2年生編は終わる。

しかしアニメ版はこのシーンを中盤(合宿時)に改変している。私見にはなるが、「ユーフォに専念したい」と「部長に専念したい」では覚悟の度合いが違うよう思えるし、そもそも作者がラストに置いてあるエピソードをカットする形で改変してよいのか、と当時は思った。
ただ、アニメ版は1期から塚本秀一に厳しいというか、くみれいを全面に押し出すあまり、秀一と久美子の関係性が強く描かれない傾向にあった。自分の狭い観測範囲では、この一連の(しゅうくみに関する)改変は、3期12話のそれと比べてあまり不満の声が聞こえてこない。もし、「結末に関する改変はよくない」と主張するのであれば、『誓』の時点で声を上げてしかるべきではないだろうか。そうでないなら、ただ12話の結末が納得できない気持ちをぶつけているだけではないだろうか、と思った。

話がそれたが、「じゃあお前はどう思ってるんだ」という話をしておきたい。
私は、前の記事で書いたとおり12話の改変には肯定的で、一方の13話については割と否定的に感じている。

しゅうくみ関連は取捨選択したテーマからして仕方ないとしても、夏紀先輩と優子先輩のあの失態はちょっと度しがたいというか、ずっと頑張ってきて引退した後も後輩のこと気に掛けてくれてるひとたちを軽く扱いすぎじゃないかな……とかなり残念に思えた。

『誓』についても否定的なのは同じで、本当は2年生編をテレビシリーズで再編してほしくて、
削られた小日向さんの成長譚も見たいし、久石奏の説得は原作通り夏紀先輩にぶつかってほしかった(←超重要)。

そんなわけで私は改変しても全肯するつもりはないが、だからといって公式を非難したりましてや罵詈雑言をぶつけたりといった大人気ない行為をするつもりはなく、こうして淡々と感想を綴るばかりである。

響け!ユーフォニアム、なんだかんだ言って最後まで楽しかったです。ありがとうございました。

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